ひきこもりのちーちゃん

主に読書感想文

【読書感想文】「聖書の中の友情論」曽野綾子

「聖書の中の友情論」という本を読みました。
なんか日記ばかり書いていましたが、本当は読書感想文を書くためにブログをはじめたのです。

 

これは、皆さんご存知の「聖書」に書かれているいくつものエピソードを引用して、
真の友情とは何たるかを考察している一冊です。

私の心に残った文をいくつかあげていきましょう。

 

「完全な友達を求める者は、一人の友もいない」
「自分がいないと友は生きていけないと思うのであれば、あなたに友はいない」
一人だけに集中する友情というものはスポット・ライトのようなもので、当てられ続けている人は暑苦しくてたまらない。
燭台の灯火のような友情を目指すべきではないでしょうか、とのことです。
私は依存体質なので少々耳が痛いのですが、思い返せばそのとおりだと納得するしかありません。

 

いわく「友情を破壊するのは思い込み」です。
相手にも様々な事情があり、裏があるのだということを知っていなければ、友情は築けません。
そしてこれは私見なのですが、「自分には裏がない」と思い込むのもまた危険でしょう。

 

「あなたの母が、家族には優しかったとしても、周囲のことを気にしないのであれば、それは本当の愛ではないでしょう」
私の母はなぜあんなにも人がいいのだろうと思っていたけれど、
この本であてはめれば、それは本当の愛があったからということなのかもしれませんね。


更に、聖書には人に「馬鹿者」と言っただけで地獄に落ちると書いてありますが、
この「馬鹿者」の意味は「神との折り合いが悪くなっているもの」という意味らしいです。
「あんたそんなことしてたら地獄に落ちるよ!」とか言う人がかえって地獄に落ちるぞ的な意味です。
それは一見いいことを言っているように見えて、思い上がりだというのが、聖書的な考えなんだそうです。
一人の人間ごときが、神の道理を知っているはずがないと言うのですね。


他にも興味深いことが書いてあります。
「最も小さな者にしたことは私(神)にしたことなのです」とあるとおり、
立派な人にも、そうでない人にも善意を配るべきですが、
小さな者(取るに足らない者)にしてくれる人は少ないから、
できればそちらにしたほうが、神様は嬉しいという意味なのだと
この本には書いてありました。


なかには、十字架の上で人類のために犠牲となったイエス・キリストのように、
「争いをするくらいなら、自分だけが死ぬ」ような覚悟が、真の友情には求められると書いてありました。それらが出来ないからこそ、完全な友情などありえないとも。

 妥協というのが一番大切なのかもしれませんね。

 

 

聖書というものに興味がある人はもちろん、そうでない人も、
どこか極端で新鮮な友情論が読みたい人にオススメの一冊です。

 

曽野綾子さまの小説は、人間の良いところも醜いところも見据えて書かれています。
しかし、ご本人の思想はどこか清らかで優しいものです。
人間的な欠点が多くあると曽野綾子さまはご自分でおっしゃられているのですが、
それ自体が人間的な優しさだと思うのです。

 

曽野綾子さまの本にハマってしまったので、
しばらく続くかもしれません。