ひきこもりのちーちゃん

主に読書感想文

【日記】性格を変えるノート

目標:私は弱い人間なので、改善するために、部屋を掃除します。

結果:私は強い人間なので、朝から部屋を掃除しました。

 

 ……こんなノートをつけて、自分の性格を改善していく試みをはじめました。

 変えたいのは行動のほうではなく性格のほうなのですが、考え方だけ変えようとしても絶対変わらないばかりか、余計に悩んでしまうと思います。ですから、理想通り強くなった自分がやりそうな行動を想像して、行動から変えていこうと思ってみました。形から入るとか、外堀から埋めていくってやつです。

 効果が出るかはわかりませんが、地道にやっていこうかと思います。

【日記】他人が怖すぎるわたし

 今日は人の目線が気になる……。というお話です。

 

 他人の気持ちは分からないけれど、えらく他人のことが気になることってありませんか? あの人は私を嫌っていないだろうか、あの人は私をどう思っているんだろうか? 子供のときはさっぱり気にしていなかったことが、今は気になってたまらない。

 それを人は成長というけれど、本当に成長しているんだろうか? 他人のことを気にしてなんの行動も起こせなくなってしまうことが、本当に成長と呼べるのだろうか?

 私が他人の目線を気にして縮こまることを、かつて私に関わっていた人たちは成長したと言うのですが、それって他人に迷惑をかけなくなったことだけを取り上げて言っているのであって、私個人の感情面は庭の雑草よりどうでもいいってことですよね。

 

 たとえば、SNSで誰かに返事をするのを忘れていた。そうしたらブロックされてしまった。そうなってから「ああ、そんなつもりじゃなかったのに……」と言っても後の祭り。むしろそんなことをSNS上でボヤけば完全にイタい奴ですよね。

 

 でも待って。これって……そんなに重要なことでしょうか。

 人間、生きていればすれ違いの一つや二つくらいありますよね。関わっているうちにいつしか話さなくなってしまう人間、仲良くなってから相性が合わなかったことが分かって離れていく人、なんて、普通に生きていればたくさんいますよね。

 なぜこんな些細なことが気になって仕方ないのか。今流行りのHSP? いやいや、違う。自分をそんな枠の中に押し込めたくはない。自分を傷つきやすい人だと定義したら、永遠に傷つかなければならなくなってしまう。そんなのはゴメンだ。

 でも、他人の目や反応が怖い……。

 

 小学校、中学校のとき、私は、人に嫌われることなんてなんとも思ってませんでした。発達障害傾向もあり、なんかバカにされて苛められるのが当たり前だったんですよね。もちろんバカにされるのは嫌でしたよ。でも嫌われるのは屁でもなかった。

 でもある日、ある瞬間から、嫌われている自分じたいがイヤになったんです。

 

 それは不思議なことに、苛められなくなった高校生のときからです。

 以前の苛められていた日々に後戻りするのがイヤだからなのか、と考えもしたのですが、単にバカにされたり軽視されたりするのがイヤだからなような気もします。

 分からない……なぜ人から嫌われるのがこんなに怖いのか。その理由がすっきりわかれば、うまいこと割り切ることもできるはずなんですが……。

【読書感想文】「魔法の庭ものがたり」あんびるやすこ

今日は児童書の感想文を書いてみます。

 

「魔法の庭ものがたり」とは、魔女の家と遺産を受け継いだジャレットという女の子が、いろいろなハーブ(ラベンダーやペパーミントなど)を使って、お友達や森の住人の悩み事を解決していくお話です。

 

このシリーズ、いっぱい本が出ていまして、私はそのうちの7つを持っています。絵が可愛く、物語が素晴らしい上に、ハーブを使ったレシピが実用的で、自分でも容易に作成可能だからです。

 

児童書だけあってストーリーはわかりやすく、ジャレットはとても素直で優しい女の子です。彼女が、人助けを通じて、「ごくあたりまえの大切なこと」を学んでいくストーリーは、読んでいるだけで心が洗われていくようです。

傷つけることなく、負担もかけず、ただ優しい素敵な物語に浸りたいときは、この絵本をとるようにしています。

 

またなによりも特筆すべきは、その文章の美しさです。その魔法の庭の美しさが、ため息がでるような素晴らしい文章で毎度表現されているので、新しい一冊を買ってページをめくるたびに感心してしまうほどです。

 

私のお気に入りのシリーズのお話でした。お金ないのもあってまだ全巻揃えてませんが、そのうち全巻ほしいですね。最初の巻もってないんですよ……

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【読書感想文】「パンとバラ―ローザとジェイクの物語―」 キャサリン・パターソン

「パンとバラ」というパンを読みました。

 この本は、1912年にマサチューセッツ州のローレンスで実際に起きた「パンと薔薇のストライキ」を、それに関わった子供の目線から物語にしたものです。

 

 貧しいながらも家族に恵まれ、家族の中で唯一、学校に通っているローザと、ひどい家庭環境の中にいるジェイクが出会うところから物語ははじまります。

 彼らはあまりに酷い環境で暮らしていました。働いても働いても、お腹がすくばかりで、まったくいいことはなく、街では暴力を伴うストライキが起こっている。子供である二人にとって、どこへ行っても恐ろしいことの連続でした。

 

 作中のストライキは、子供たちの目から見ると、「よく分からないもの」として描かれています。それはジェイクを大人にしてくれる一大イベントであったり、ローザの大切な日常を奪っていく怖いものでした。

 

 しかしこの物語は晴れやかなハッピーエンドを迎えます。

 性根のひんまがった私でさえ、彼らの幸せを祈らずにはいらませんでした。読者みんなが願うであろう彼らの幸福は、無事にかなえられるのです。

 長い雨のあと、空が急激に晴れて、眩しいくらいの光が差し込むような、素晴らしいエンディングでした。

 

 

余談

 アマゾンのリンクとか貼りたいような気がしたんですけど、誰でも手軽にはっつけられるもんなんでしょうか? なんか申込みとか必要なんですかね? 別に、ただの読書感想文であって、紹介してやろう!と意気込んでるわけじゃないんですけど…。

 あと、これ児童書のコーナーにあったんですけど、児童には難しすぎませんかね? それともこの発想は、児童をなめすぎでしょうか。みんな意外と頭良い? そりゃ私よりは良いでしょうけれども。ただ、児童書のコーナーにある本のなかではじめて「マルクス主義」の単語を見つけましたよ。

 

【読書感想文】「聖書の中の友情論」曽野綾子

「聖書の中の友情論」という本を読みました。
なんか日記ばかり書いていましたが、本当は読書感想文を書くためにブログをはじめたのです。

 

これは、皆さんご存知の「聖書」に書かれているいくつものエピソードを引用して、
真の友情とは何たるかを考察している一冊です。

私の心に残った文をいくつかあげていきましょう。

 

「完全な友達を求める者は、一人の友もいない」
「自分がいないと友は生きていけないと思うのであれば、あなたに友はいない」
一人だけに集中する友情というものはスポット・ライトのようなもので、当てられ続けている人は暑苦しくてたまらない。
燭台の灯火のような友情を目指すべきではないでしょうか、とのことです。
私は依存体質なので少々耳が痛いのですが、思い返せばそのとおりだと納得するしかありません。

 

いわく「友情を破壊するのは思い込み」です。
相手にも様々な事情があり、裏があるのだということを知っていなければ、友情は築けません。
そしてこれは私見なのですが、「自分には裏がない」と思い込むのもまた危険でしょう。

 

「あなたの母が、家族には優しかったとしても、周囲のことを気にしないのであれば、それは本当の愛ではないでしょう」
私の母はなぜあんなにも人がいいのだろうと思っていたけれど、
この本であてはめれば、それは本当の愛があったからということなのかもしれませんね。


更に、聖書には人に「馬鹿者」と言っただけで地獄に落ちると書いてありますが、
この「馬鹿者」の意味は「神との折り合いが悪くなっているもの」という意味らしいです。
「あんたそんなことしてたら地獄に落ちるよ!」とか言う人がかえって地獄に落ちるぞ的な意味です。
それは一見いいことを言っているように見えて、思い上がりだというのが、聖書的な考えなんだそうです。
一人の人間ごときが、神の道理を知っているはずがないと言うのですね。


他にも興味深いことが書いてあります。
「最も小さな者にしたことは私(神)にしたことなのです」とあるとおり、
立派な人にも、そうでない人にも善意を配るべきですが、
小さな者(取るに足らない者)にしてくれる人は少ないから、
できればそちらにしたほうが、神様は嬉しいという意味なのだと
この本には書いてありました。


なかには、十字架の上で人類のために犠牲となったイエス・キリストのように、
「争いをするくらいなら、自分だけが死ぬ」ような覚悟が、真の友情には求められると書いてありました。それらが出来ないからこそ、完全な友情などありえないとも。

 妥協というのが一番大切なのかもしれませんね。

 

 

聖書というものに興味がある人はもちろん、そうでない人も、
どこか極端で新鮮な友情論が読みたい人にオススメの一冊です。

 

曽野綾子さまの小説は、人間の良いところも醜いところも見据えて書かれています。
しかし、ご本人の思想はどこか清らかで優しいものです。
人間的な欠点が多くあると曽野綾子さまはご自分でおっしゃられているのですが、
それ自体が人間的な優しさだと思うのです。

 

曽野綾子さまの本にハマってしまったので、
しばらく続くかもしれません。

【お遊び】AIのべりすとで日記を書く!

 私は今日は趣味の小説を書き、そして趣味の読書をしました。
 小説に関しては愚にもつかないことなのでここでは言及いたしませんが、
 読書について、今回選んだ本は偏ってしまっていたかな、と反省しつつ、
 それでも楽しいひとときを過ごしました。
 あなたは今日はどんな毎日を過ごしていらっしゃいましたか?

「……なにしろね。この国はもう何十年も戦争してないからさ。ほんとうに平和でいい国だよねえ」

 そうですね。
 私が引きこもっていられるのも、日本が平和であるからでしょう。
 本を開けば戦争についての記述がいくつか見られます。
 少し昔の人にしてみれば、戦争というのは当たり前のものだったのですね。

 しかし、私にとって重要なのは己との戦いです。
 なにしろ外に出るのも恐ろしいのに、明日、外に出なければならないのです。
 クリスマスのための集まりですって。

 誘っていただいたから行きたい気持ちはあるのだけど、
 私なんかが行ったら迷惑じゃないかと思うのです。

 あなたは、どう思われますか?

「まあそんなことは言っても、行ってみたら意外と楽しいかもしれないよ?」

 それはそうなんですけど……。
 でもやっぱり怖いものですよ。話したこともない人ばかりですし。
 それに私は昔から変人と言われるし、友達なんて一人もいないし……。

 ああでも、行かないという選択肢はないんです。
 私にとっても重要なイベントですからね。
 あなたは、明日はどう過ごされるご予定ですか?

うん。ぼくはちょっと仕事があって出かけるんだ。夜には帰るつもりだけど……」

 では今夜の夕食は外で、ということでしょうか? お忙しいのですね。

……

 というわけで、はやりの「AIのべりすと」というサイトで日記を書いてみました。
 色がついてるところはAIが書いてくれた言葉です。

 すごいですよねこれ。


 これはまだマイルドなんですが、AIのべりすとで日記を書いていると、
 自分の日常に突如、輝かんばかりのイケメンが登場して、ラブコメがはじまったりします。

 楽しいです。

 

 余談です。

 私は読むのが遅いので、新しい読書感想文がまだ書けてません。

【暗黒日記】健常者にとって障害者って"物"だよね

 新しい本が手元にあるので読書感想文を書こうかなって思っていたのですが、精神が暗黒面に落ち込んできたのでなんか書こうと思います。

 これは暗黒日記です。暗い気持ちになりたくない人は読まないことをオススメします。お気をつけください。読者になってくれた親切な方々は、まあできれば、読書感想文だけサラッと読んでいただければ……と思っていますが、ひきこもり障害者が何を思っているか知りたい方は読んでみてください。

 

 私は他人の介護がないと生きられない程度にはポンコツで、福祉関係の人のお世話になりながら生活しています。しかし、ここでいつも心の中に葛藤が起きます。

 というのは、子供の頃からあらゆる人から徹底的に嫌われてきた私は、福祉関係の人の優しさが信じられないのです。

 

 私を罵倒したりからかったりしていた同級生たちや、私を軽蔑してきた教師たちの姿こそが人類の本音で、福祉関係の人たちはある種の嘘をついているのだと思って、普段はその事実(被害妄想かもしれませんが)を諦めて過ごしています。

 それはあまりにもギャップがあるからです。

 出会ってきた人すべてが私を嫌悪してきました。そこまで行かずとも、見下されてきました。それなのに突然優しくされても困ってしまうんですよね。もちろんだからといって、わざわざ罵られたくはないのですが。

 

 私がいちばん許せないのは、私のことを思っているふりをして個人情報を聞き出そうとしてくる輩です。介助に必要ない個人情報を聞き出そうとする人は、必ずそれを不特定多数に言いふらします。例外はありません。

 「こんな障害者の面倒みてるわたしっていい人でしょ」とアピールするためです。

 そして健常者さまの多くは、このおそるべき偽善者を、本物の善人だと思って褒めたり崇め奉ったりするわけです。

 この場合、私は"物"です。

 健常者さまの承認欲求を満たすための"物"にすぎません。

 

 この偽善に気付かない純粋で素直な(私に言わせればただのバカ)な障害者たちは可愛がられ、どんなわがまでも聞いてもらえて、居場所を提供してもらえますが、私みたいに猜疑心の塊のような障害者には居場所がありません。

 

「他の子たちは純粋で素直なのにあなたは違うから、ここにいないでほしい」

 って、特殊学級の担任の先生にフツーに言われましたからね。

 善良な(笑)世界に生きている人には信じられないことかもしれませんが。

 

 信用できる福祉関係の人は、ビジネスライクな態度を崩さない人だけです。そういう人にはかえって心を許すことができます。しかし、「あなたの友人になりたい」などと言って近づいてくるような人は、一切信用できません。私のことを道具としか思っていないのですから。

 

 私に対して優しい健常者は(おそらく)ウソつきだから嫌い、私に対して優しくない健常者は普通に嫌い。同じ障害者でも、その中ですらランク付けがあるので、嫌い。

 こうなってくると私はどうしたらいいのでしょうか。

 そう。家から出ないことしかありません。

 

 私のことを意思疎通のできる人間だと思っている人は、片手の指で数えるほどしかいないでしょう。インターネット上で知り合った表面だけの付き合いの人は別ですが。

 

 私が求めているのは心の平穏だけです。

 私が自分で自分のことをできる人間だったら、他人なんていらないのです。

 でも私がそういうまともな人間だったら、そもそもここまで人間のことを嫌いにならなかったでしょうね。これ「ナントカのジレンマ」とか名前ありませんかね。そういう哲学的な知識、私にはほとんどないので分かりません。

 

 ただ言えることは、みんなが私のことを嫌いになるから、私もみんなが嫌いなのです。せめて人として扱ってほしいと願うばかりですが、健常者同士でも相手を人として尊重するのはそれなりに難しいことみたいですね。